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日々考えていること(ダイアリー)

障害の受容について

障害の受容について
教科書的にはリカバリーとは障害の受容が前提とされています
ですが、私は必ずしも自分の障害を受容しているわけではありません
調子よく行っているときは自分はもう障害者ではないと思う時もあるし
なにか上手くいかないとやはり自分は障害者なのかとも思います
つまり、常に揺れ動いているのが現在の自分です

リカバリーについて思うこと

現在のリカバリーとは就労を前提とした若者の回復論のような気がしています
もし仮に若者の精神障碍者が就職してもやがては定年を迎えます
今後は高齢化した精神障碍者のリカバリー論が必要とされるのではないでしょうか
高齢精神障害者の問題は今後社会の課題となるでしょう
高齢精神障碍者が第二の人生をどのように、こころ豊かに過ごすのか?
まだこの問題は当事者さんが誰も声を挙げていません
これは精神障碍者の問題のみに関わらず、高齢者の生き方一般に通じるものがあります

人と繋がること

孤立した生活を送ると回復しない気がします
いろいろな場所に出向いて、いろいろな人と出会うことで病気へのとらわれから徐々に解放されて行きました
できるだけ良い人と出会うとこが回復のカギのような気がします
さらに良い友達を持つことも大切です
繋がりがないと誰も助けてくれないからです
そして運も開けて来ないと思います

ピアは誰でもなれます

生活支援センターの所長さんが「ピアは誰でも成れるものではない」と定例会で発言されたことがあります
ピア仲間にも「選ばれし者」とボクに話した方がおられました
ですがボクはピアは誰でも成れるものだと思っています
特殊な人にしかなれないピアの体験発表など、当事者が聴いても何の意味も持たないと思うからです
「ボクにも」「私にも」と思うからこそ、ピアのリカバリーストーリーが生きてくると考えています
自分に達成出来たことは、誰にでも出来ると思うからピアをやっています
そういう希望を当事者さんに届けたいと思います

田中の経歴

30年以上前、医療関係の仕事をしていました
ある大学病院で研修を受けていました
病気と人間関係で退職して、デイケアと作業所とで30年近く医療・福祉のお世話になりました
20年ほど前に入院して以来、鬱屈した人生を送ってきました
詳しくは書きませんが、人生を棒に振ったと思い鬱屈した思いに囚われていました
5年ほど前にある契機からWISHというピアサポート・グループに所属しました
WISHに所属することで、いろいろな繋がりが出来る契機になりました
20年以上様々な薬を服薬しましたが一向に治らず、自分で治療法を考えました
「さまざまなところに出向いて、いろいろな人に出会う」という治療目標を立てたのです

自分のキャラクターを見直そう

医療職とて人間だから、気むずかしくて感じの悪い人とはあまり関わりたくないでしょう
ボクも発病以前は気難しく人と孤立して付き合いにくい人間だったのかもしれません
こんな性格だと人が寄りつかないし、人生で損をすることに最近になって気づきました
障害者であろうと健常者であろうと、人当たりの悪い人は運も逃げていくし、誰も助けてくれないでしょう
病気になって認知機能は落ちたけれど、なぜか周りの人がいろいろな助け船を出してくれるようになりました
いままで医療職や支援者と上手くいかなかった人は、自分のキャラクターを見直してみてはいかがでしょうか

ターニングポイント

ターニングポイントとは転機のことです
どうやって回復の転機を得たのか
転機とは悟りのようなものなのかもしれません
別にお寺で座禅しなくても、障害者でも悟れるのではないでしょうか
1年ほど前にボクは思弁的な思想書を全て売り払いました
そんなものをいくら読んでも人生が展開しなかったからです
本を読むよりいろいろな人と出会って対話することで転回した気がします
自分の生き方や価値観を変える出会いが増えてきたからです
本ばかり読んでいても人生は転回しないと思います

プロの凄さ

オーケストラの演奏をびわこホールで聴きました
ベルリオーズの幻想交響曲でした
弦楽器と金管と打楽器が交差する音響の渦に飲み込まれました
指揮者が魔法のようにタクトを振る姿を見ていて催眠術にかかったような気になりました
この曲はCDで聴くのとホールで聴くのとは雲泥の差で
その音響の凄さと圧倒的なオーケストラの描写力が圧巻でした
あれだけの演奏が出来るプロの凄さを目の当たりにしました
改めてベルリオーズの作品は偉大だと、その芸術性の高さに圧倒されました
ボクは絵を描いていたけれど、あれだけ格調の高い芸術性には到底及ばないと思いました
芸術の底力を見たコンサートでした

地域に居場所を

現在、大津市には現在2か所の生活支援センターしか存在しません
医療にはお金と人材が投入されるが、地域の福祉には予算と人材が不足しています
精神病院に入院している期間より、地域での退院後の人生の方が遥かに長いのです
それに私が入院した頃は、まだ社会資源が整っていなかった
それ以前は病院で一生を終えるような不遇な人生を送る方が多数おられました
今は訪問看護やヘルパー、相談支援専門員、ケースワーカー、ピアなど
地域での精神障害者の暮らしを支えるチームが整いつつあります
世の中、ここ20年近くで随分様変わりしてきたのですね

支援者の人生観

いろいろな支援者と56歳まで関わってきました
昔の精神病院は暗かったし、医師にも虚無的な人が多数見受けられました
これは医師が悪いのではなく、治らない患者ばかり診ているので
次第に虚無的になって行くのだと思っていました
有効な治療法も無かった時代の残滓を垣間見る虚無的医師です
こういう人に診察されるとまず患者さんは治らないと思います
人のせいにはしませんが、支援者の人生観は患者さんの回復に大きく影響します
今はチーム医療の時代だし、医師が何でもかんでもする時代は過去の話です
いろいろな職種と繋がって支援を受けることが回復の鍵になります
そのようなサポート体制を自分で作り上げてきたのが良かった気がします

原因追及の問いは回復にブレーキをかける

「なぜ病気になったんだろう」「なんで入院で訳の分からない酷い目にあったんだろう」
こういう問いを20年以上、いつも自問自答して生きてきました
でも例え原因が分かっても、現在の自分を変えることは出来ないと思うようになりました
タイムマシーンでも発明されないと、過去の人生を書き換えることはでないからです
つまり原因追求型の生活を送ると、いつまでも過去に囚われ人生が転回しません
56歳からは過去の体験発表は原則しないことにします

3つのリンク

家族会、当事者(WISH)、ソーシャルアクションの3つが別個に活動しているのは得策ではありません
ご家族さんと当事者さんとの意見が食い違って当たり前ではないでしょうか
価値観も考え方も生き方も親と子が違って当たり前なのではないでしょうか
また様々な施策を実現していくためには、社会・行政への提言・関わりが必要です
目下この3つを連動させるシステムを考えています
何かのご縁で湖の子会の副会長に総会で推され、承認されました
負担のない範囲で、WISHと湖の子会の双方に関わって行こうと思います

アートな生活を送ろう

障害者の芸術を推進する法律が2018年にできました
障害者芸術推進法2018年 文化庁
アカデミックな絵画とアールブリュットは方向性が異なります
ボクとしてはどちらを目指すべきなのか迷っています
日展の先生に一時期、絵の指導を受けたことがありました
でもこの方向性では上手くいかない気がしてきて絵を描かなくなりました
もっと自由な絵画があっても良いんじゃないだろうか?
構図・色彩理論など絵の法則に縛られないアールブリュットを目指すべきなのか?
いろいろ模索してきましたが、まだ方向性が定まりません
当事者でも知的の方の絵は素晴らしく、思わず驚くような凄い絵に出会います
誰にも真似のできない独特で素晴らしい感性を持っておられ、いつも憧れています

マーラーの交響曲第5番

中学・高校時代に良くマーラーの交響曲を聴きました
当時はマーラーブームみたいなところがあり
なぜが20世紀の後半から21世紀になるまで
大学の先生などの知識階級の人がやたらと
マーラーの交響曲を聴いていました
ボクも中学・高校時代から人生の歯車が狂いだし
なぜかマーラーの交響曲に心酔して行きました
マーラーの交響曲は哲学的・心理学的なモチーフな為か
煩悶の多い青年期の自分に響き合うものがありました
良く聴いたのが交響曲第2番・復活、交響曲第5番です
入院中の個室でも良く聴いていたのが交響曲第5番です
第5番の最終楽章は肯定的なフィナーレで終わるので
いまでもFM放送からこの曲が流れると入院時を思い出します

環境と個人のあり方

若い頃良く読んでいた書物は禅宗に関する書籍でした
宗教との葛藤を抱いて煩悶したところがあり、
やたらと宗教書ばかり読んで青年期を送りました
禅宗は個人のこころの問題を追及しますが
社会への関わりとは無縁な気がします
私はもともと個人主義的な人間で社会問題をあまり考えてこなかった気がします
しかし自分が当事者になって、また社会問題への関わりに熱心な人とも関わるようになり
次第に自分のあり方を見直すようになりました
以前ならば環境を変えるか自分が変わるかのどちらしか無いと考えていたのですが
両者は必ずしも別個のものではなく、双方はお互いに影響し合っているもので
最近は障害者にとって住みよい社会とはどのような社会なのか
共生社会のことをよく考えるし、またその夢を実現するためには
実現可能なプランを行政にも提示しなければと思っています
みんなで住みよい社会を一緒に考えましょう

みんな障碍者になります

障碍者の問題を他人事だと考えている人は
自分とは関係のない無縁の世界だと考えているからでしょう
精神障害でも無関係だと思うから、無関心か偏見を持つのだと思います
自分だっていつ障碍者になるか分からないーそう思えば色眼鏡で見ることはないでしょう
いつまでも健康で生きられないし、誰でも障碍者になって人生を終えるのだと思います
障害者の問題は、明日は我が身の問題だと思えば、決して他人事ではないのです

みんなでシェアする生活

だんだん歳を取ってきたからだろうか
所有欲が徐々に無くなってきました
現在デトックス・断捨離を行っています
また自分のことを半ば公人だと思うようににもなりました
ピアそのものが自己開示を前提とした活動なので半ば公人です
もっとみんなで世の中をシェアして生活できないだろうか
自分の物は借り物だと思えばコストも掛からず
シンプルに暮らせるのではと思います
22世紀はそういう世の中になるのではないでしょうか

表現の楽しさ

概して作業所というと、単純作業と相場が決まっています
ですが、これからは表現という方向性を考えてみてはと思いました
演劇・舞台・展示など、障害者の表現にもっとウェイトを置いた
活動が行われると、障害者の啓発・啓蒙の一翼になると思うからです
作詞も良いし、音楽も良いし、欲を言えば、カフェ付きギャラリーで
絵の展示と楽器演奏のコラボとか、いろんな可能性が広がると思います